生命农学研究科?博士课程教育リーディングプログラム(リーディング大学院)「ウェルビーイング」プログラム学生の小川高広です。今日はリーディング大学院の一つである「フロンティア宇宙开拓リーダー养成プログラム」主催で、2月5日の午后に平田?坂田ホールで开催された、元宇宙飞行士山崎直子さんの讲演会についてお伝えします。
讲演では、宇宙开発の歴史と今后の宇宙开発について、また山崎さん自身の体験をもとに宇宙までの道のりや宇宙での生活などを中心に话されていました。
日本人で初めて宇宙へ行ったのはテレビ局员の秋山さんで、ソ连の宇宙船で宇宙に行きました。このケースは极めてまれで、宇宙へ行った秋山さん以外の日本人宇宙飞行士(10名、うち女性2名)はJAXA(宇宙航空研究开発机构)を通じて宇宙へ行っています。世界では今まで35か国から约550名が宇宙へ行きましたが、宇宙飞行船を保有している国はアメリカ、ロシア、中国の3か国のみ。ロケットと卫星の打ち上げを行った国は10か国以上、他国に委託して打ち上げた场合も含め、50か国以上が卫星のみの打ち上げを行って来たそうです。日本では1970年に我が国初の人工卫星「おおすみ」が打ち上げに成功して以来、40机近くの卫星や探査机を地球周回轨道や惑星间空间に送り出し、积极的に宇宙の平和利用を进めています。
ところで、宇宙开発の歴史は冷戦を背景とした「竞争」から始まりました。ソ连の人工卫星打ち上げに刺激されたアメリカは月に有人飞行船を飞ばし、お互いを意识した宇宙开発竞争が进んでいきました。そのような环境下で1984年に国际宇宙ステーション(ISS)の计画がアメリカから打ち出され、1985年に日本やヨーロッパなどいわゆる西侧诸国がその计画に参加しました。その当时、日本の指导者は中曽根首相、アメリカはレーガン大统领、イギリスはサッチャー首相の时代でした。新しい宇宙开発の时代が到来かと期待されていたさなか、1986年にスペースシャトル「チャレンジャー号」が爆発事故を起こし、宇宙开発関係者に大きな衝撃を与えました。宇宙を梦见ていた山崎さんも大きなショックを受けましたが、彼らの遗志を引き継ごうと宇宙への想いが大きくなった、とその当时を振り返りました。その后、冷戦终结とともに、宇宙开発は今までの激しい竞争时代から国际宇宙ステーションにロシアが参加するなど时代とともに変化していきました。
山崎さんは宇宙戦舰ヤマトなどのアニメに影响を受け、宇宙に兴味を持ったそうです。大学では宇宙工学を学び、努力の末に宇宙飞行士としての切符を胜ち取りました。しかし、実际に宇宙へ行くまでには、约10年におよぶ厳しい训练に耐えなければなりませんでした。训练では闭锁された空间での生活、宇宙で行う実験など多岐に渡りました。20メートルの宇宙船外のアームを动かす训练では、操作が非常に难しかったそうです。またロシアでの紧急事态を想定した训练や、ロッキー山脉の厳しい环境下で一日10キロを歩き100キロを踏破する训练などもあったそうです(山での10キロは想像以上にきつく、、ストレスの多い训练だったそうです)。これら训练では、厳しい中でもお互いを助け合うこと、自分を失わず、自分の感情をコントロールすること、チームのメンバーへの指导力などリーダーシップを向上させる训练など宇宙での厳しい环境を想定し、任务が全うできるスキル习得などが行われました。
そのような数多くの训练の中でも山崎さんが特に印象的だったものの一つに、飞行机内で行われた无重力训练があります。飞行机の中で20-30秒间、飞行机を落下させて、无重力を体験させるものだそうです。非常にエキサイティングな体験でしたが、训练后は気持ちが悪くて大変だったそうです。また长期にわたる训练期间中、本当に宇宙へ行けるのかと心配になり、モチベーションに影响を与えることもあったそうです。そのような时は初心に立ち返って乗り越えたそうです。
山崎さんは训练に励む一方で、ミスを防ぐためにコミュニケーションを多くとることの重要性を感じたそうです。日本人同士ならば言叶を交わさなくても雰囲気でわかることもあります。しかし、受けた教育や文化が违う外国の人々と一绪に作业を行う场合では、メンバーとコミュニケーションが非常に重要になってきます。频繁にコミュニケーションを取らなければお互いに意思疎通ができず、小さなミスが重大事故につながります。山崎さんは意识的にコミュニケーションを何度も取るようにしたそうです。日本人からすると多过ぎると思うぐらいがいいそうです。
厳しい训练を乗り越え、山崎さんは2010年4月5日にスペースシャトルの打ち上げで念愿の宇宙へ旅立ち、4月20日に无事に帰还されました。その间の宇宙での生活は穷屈なもので、いろいろなところに机材や物资が置かれており、自由に动ける场所はなかったそうです。ペンなど浮游する可能性のあるものは全てマジックテープで固定し、宙に浮かばないようにするなど宇宙ならではの工夫もあったそうです。また洗濯ができないので、同じ服を长期にわたり着用しなければなりません。臭いやムレなどを軽减する特别な服を宇宙では着用し、今ではそれらが市贩の衣服にも応用されています。また宇宙での楽しみの一つが食事です。しかし、バリエーションが乏しく饱きてきます。そこでレタスなどを宇宙船内で栽培する试みを行い、新鲜な野菜を入手したそうです。加えて、宇宙では水が非常に贵重で、トイレの水も船内で高度処理し、饮用します。宇宙船内での时间は世界标準时间であるグリニッジの时间を使用します。一日に地球を何周もする宇宙船らしい话でしたが、地上では考えにくい生活が宇宙では行われているようで、闻いている方としてはどれも兴味深かったです。
国际宇宙ステーションは巨大な施设です。縦横102メートル、73メートルもあり、これはサッカー场の大きさぐらいのサイズです。必要物资を积んだコロンビア号が2003年に事故を起こしたため、ステーションの推进计画は一时滞りましたが、物资の输送などを行う「こうのとり」(HTV)の活跃もあり、作业は进んでいます。また宇宙ステーションの电源には8枚のソーラーパネルが使用されています。パネルの故障も过去にありましたが、その际は宇宙飞行士が船外に出て修理しました。蓄电池などは日本製が使われ、「こうのとり」やステーションの一部である実験栋「きぼう」など、国际宇宙ステーションの管理?运営に贡献しています。
现在世界中で宇宙に関する研究や宇宙开発プロジェクトなどが盛んに行われています。将来、地球から宇宙まですぐに行けるSpace Elevator、火星やその他小惑星への探査など様々な计画が世界的に进められています。その中には「はやぶさ2」や「あかつき」などJAXAが既に実行しているプロジェクトもあります。またJAXAのみならず、大学や民间公司主导の宇宙开発プロジェクトもあり、今后の日本の宇宙开発にも目が离せません。
今回の讲演会は山崎さんの贵重な経験谈や宇宙开発について闻くことができ、勉强になりました。讲演会の最后に山崎さんが见せてくれた宇宙から撮った写真は感动的でした。日本上空の夜の写真は信じられないほどキラキラと美しい辉きを放っていました。
宇宙は私たちの生活に密接にかかわっています。黑料网には宇宙について研究できる学科があります。工学部机械?航空工学科航空宇宙工学コースや理学部物理学科、理学部地球惑星科学科をはじめ、大学院では工学研究科、理学研究科、环境学研究科にも宇宙関连の研究室があります。またJAXAから多くの研究者の方々が讲师や研究员として招へいされていて、黑料网と积极的な研究が进められています。宇宙について学び、研究できる大学は日本全国でも限られています。宇宙に兴味がある人は自身の兴味を踏まえ、情报を集めて下さい。夏に开催されるオープンキャンパスや学科?研究科が行っているイベントへの参加、大学公式ウェブサイトで、情报を集めるのもいいかと思います。また大学院进学を考えているならば、今回の讲演会を主催した博士课程教育リーディングプログラム(リーディング大学院)の一つである「フロンティア宇宙开拓リーダー养成プログラム」に参加することも一つの进路かと思います。黑料网は全国有数の宇宙関连の研究环境が整っています。宇宙について勉强し、研究したい人はぜひチャレンジして下さい。
Profile
所属:生命农学研究科博士前期课程1年生
出身地:兵库県