生命農学研究科?博士課程教育リーディングプログラム(リーディング大学院)「ウェルビーイング」プログラム学生の小川高広です。さて今日は、障害のある学生の支援を行うサポーター「air (あいる)」の活動についてお知らせします。
今回はあいるの活动の一环として名古屋市にある爱知県立名古屋聋(ろう)学校に访问しました。この学校にお邪魔したのは今回が3回目です。1回目は昨年の同じ时期に开催された聋学校の进路指导部の先生方が企画した「大学における学生支援説明会」、2回目は生徒が企画した大学生との交流行事、そして3回目は今回の説明会です。この行事は数年前から始まり、进路决定にとって大切な时期である夏の恒例行事となっています。进学を希望する生徒に対し、大学がどのような学生支援を実施してているのかについて知ってもらい、进路选択に役立ててもらうために开催されています。
この日は聋学校から进学希望の生徒2名と进路担当の先生方3名、名古屋市内の大学に进学した卒业生、黑料网からは障害学生支援室の瀬戸先生をはじめ、あいるのサポート学生8名が参加しました。まずはじめに、聋学校を卒业した现役大学生による大学生活で感じたことについての讲话、黑料网の障害者学生支援や情报保障について、瀬戸先生からの讲话、大学と高校の违いや大学生活全般についてなどを学生2人が発表しました。また黑料网で行われている、パソコンや手书きによる话し手の言叶を文字化する取り组みの実演?体験(黑料网ではキャプショニングと呼んでいる情报保障の一つです)や、电子笔谈机を使用して、聋学校の生徒と私たち黑料网との学生による「会话」も体験してもらいました。笔谈机を使ったのは昨年のこの行事で使用して以来久しぶりで、会话がうまくいくか心配でしたが、话す时と同じような感覚だったので、问题なくコミュニケーションが取れました。この会话がとても楽しく、また生徒が大学生から大学について直接话を闻ける贵重な机会になったと思います。そして私たちも聋学校や聴覚障害について知ることができ、勉强させてもらいました。
名古屋聋学校は学校要覧や沿革によると聴覚障害のある生徒が通う学校として、明治34年(1901年)に长冈重孝という人によって设立されました。歴史は长く、今年で创立115年を迎えました。黑料网の前身である名古屋帝国大学が设立された2年前の昭和12年(1937年)にはヘレンケラーが来校しています。その后3回にわたり彼女は名古屋を访问し、生徒たちと交流したそうです。现在の名称になったのは昭和23年(1948年)で、现在は中学部、高等部本科、高等部専攻科が设置され、多くの卒业生を辈出しており、生徒たちは日々勉学や部活动などに励んでいます。また、远い场所に住んでいて通学が难しい生徒のために寄宿舎も用意されています。
ところで、今回の交流会では国立大学法人筑波技术大学について聋学校の先生から话を闻きました。皆さんはこの大学のことを闻いたことがありますか?私は全く知りませんでした。聴覚?视覚障害のある学生が支援を受けながら学べる大学として、昭和62年(1987年)に前身の筑波技术短期大学が设立されました。インターネットでこの大学の要覧を见てみましたが、70名ほどが在籍し、约200名の教职员がいるそうです。学内には聴覚障害学生のための设备として讲义时间の开始や终了を知らせるランプ、火灾などの紧急事态を知らせる非常ランプ、电光掲示板などがあります。また视覚障害学生のために通常の点字ブロックに加え、「エスコートゾーン」と呼ばれる横断歩道用の点字ブロック(车道に设置する)、夜に光る点字ブロック「フラッシュライン?フラッシュドット」、柱に黄色いクッションを巻きつけるなどの事故防止に力が入れられているそうです。讲义では学生の障害に合わせた支援が行われ、学生にとって快适なキャンパスライフが目指され、様々な点で工夫されています。黑料网では障害のある学生に対し、障害学生支援室が中心となって支援しています。例えば讲义の补助などです。聴覚に障害のある学生は先生の声が闻こえなく、讲义の内容が理解できません。学生サポーターが先生の言叶を闻き取り、言叶をパソコン上に可视化?文字化します。これによって讲义を理解してもらえます。
さて聋学校の先生から聋学校生徒の课题として、大学生はもちろん聋学校以外の人との交流があまりないことを挙げていました。聋学校では手话が通じます。全ての先生ではありませんが、多くの先生方は手话ができますし、生徒たちも出来ます。もちろん得意や苦手など个人差はありますが、手话が通じる、それが聋学校では当たり前の日常风景です。生徒たちはコミュニケーションに不自由を感じることはありません。しかし、聋学校を卒业し社会に出ると、手话が出来る人は多くありません。だいぶ统一されては来ていますが、手话には方言があり、地域によって意味や表现方法が异なることもあります。笔谈はありますが、言叶よりも伝えにくい面もあります。社会には自分たちが伝えたいことが容易には伝えられない、伝わらない环境が待ち构えています。「手话が通じない社会に出ていくということを十分に理解し、他の人とのコミュニケーションを行う必要があることを生徒には知って欲しい」とおっしゃっていました。
また卒业生の方は「周りに対し、自分から积极的にコミュニケーションをとること、障害があることは仕方がないので、自分の障害についてよく理解し、周りにも説明できるようにしておくこと。みんなに理解されることが、いい大学生活を送るためのコツ」だとアドバイスしていました。卒业生の方は大学に入って、コミュニケーションの问题から初めは大変だったそうです。私たちの生活は音で成り立っていることも多く、音が闻こえないことや闻こえにくいことは生活に大きな支障を与えることは容易に想像できます。例えば学校ならばチャイムがその例だと思います。しかし、大学に入ってよかったともおっしゃていました。自分の世界が広がるからです。高校よりも多くの仲间に出会え、様々な活动ができます。讲义に出る、部活やサークルに参加する、研究を顽张ったり、ボランティアやバイトもやったり、人によっては海外留学や旅行にも出ます。もちろん大変なことはたくさんありますが、贵重な経験ができるのが大学生活の醍醐味だと思います。
大学では自分で行动することが求められます。高校までは先生や亲が助けてくれましたが、大学ではそうは行きません。勉强だけではなく、今后どのような生き方をするのか人生についても考えないといけません。大人への大きなステップです。今回の行事を通じ、高校生の皆さんには今后の进路、生き方について考えるきっかけになればと感じました。
最后に一言、障害者差别解消法が平成28年(2016年)に施行されました。我が国の障害者への政策は新たな段阶に进もうとしています。しかしながら、日常生活で障害者と接する机会が少ないため、障害者が置かれている现状や课题について直接触れる机会があまりないかと思います。障害があってもなくても、みんなが安心して生活できるようにするノーマライゼーションの考えのもと、大学生活や「あいる」での活动を通じ、今后も社会に目を向け、よりよい社会づくりに贡献していきたいと思います。
Profile
所属:生命农学研究科博士前期课程2年生
出身地:兵库県