No.55 町田 洋 准教授
Researchers'
黑料网博物館?大学院情报学研究科
No.31 新美 倫子 准教授
学生の顷に师匠から言われた言叶です。私たち考古学者は、どうしたら出土资料からより多くの情报を引き出せるかを、いつも考えています。资料はぼんやり眺めているだけでは黙りこくって何も语ってくれません。しかし、こちらが日々観察のための训练を积んだ上で资料にあたれば、多くのことを教えてくれます。だから、资料の语る声が聴こえるように、常に準备しておきなさいというものです。考古学を始めてから年月を経た今でも、いや今だからこそ、そのとおりだとますます强く感じますし、いつも忘れないようにしています。
遺跡を発掘すると、土の中からさまざまなものが出てきます。それらの中でも人々に利用された動物の骨 ―貝がらや魚の骨や人骨も含みます。それは食べた後に捨てられたゴミだったり、お墓に埋葬されたものだったりするのですが― を材料として、昔の人たちの暮らしや文化を復元する研究をしています。
大学ではなんとなく考古学専攻に进学して、初めての発掘実习で北海道に行き、12世纪顷の住居の跡を掘りました。土の层を一枚、もう一枚とはがしていくと、家の形がだんだん现れてくるので、「発掘っておもしろいな」と思いました。さらに、その家にはカマドがあり、火を焚いた后の灰が残っていて、この灰をふるいがけしたら、よく焼けた鱼の椎骨がたくさん出てきました。コマイという鱼(タラの仲间)だったのですが、调べていくと、この骨は大きさから见て十分に成熟した成鱼であり、おそらく冬のもっとも寒い时期に产卵のために海岸にやってきた个体が捕られたのだろうとわかりました。「こんな小さな骨から、捕った季节までわかるのか」と思ったことがきっかけです。
これまでの定説をひっくり返す、あるいはまったく新しい展望につながる键となりそうな资料を见つけた时でしょうか。それらを観察?计测してデータをとり、集计して结论までの道筋を组み立てていくのは、とても楽しいです。もっとも、资料を见た瞬间に「おおっ、これはいける!」と思っても、あとから「やっぱりダメでした???」となる场合も多いのですが。
これは、「日本列岛でブタの饲育が始まったのは弥生时代(约3000年前)からとこれまで言われてきましたが、冲縄ではそれよりはるかに古い7200年前にすでに多数のブタが中国大陆から导入されていた」という话です。冲縄は现在もブタを本州よりかなりたくさん食べる地域で、ブタの肉だけでなく皮や血までも食する独特の文化が知られています。さかのぼって数百年前の中世や近世の遗跡でも、当时の人々が食べたブタの骨が大量に出土します。ただ、いくら冲縄でも7000年以上も昔の遗跡であれば、まだブタを利用していなかっただろう、出土するのは狩猟された野生のイノシシだろう??と私も考えていました。
そして、冲縄に行き7200年前の野国贝塚から出土したイノシシの骨と言われてきた资料を见たわけです。すると、下顎骨がみんなブタの形をしていました(写真)。ブタは野生のイノシシを人间が长い时间をかけて饲いならして作り出した家畜であり、この家畜になる过程で身体のあちこちの骨の形が変わっていくことが知られています。下顎の骨では矢印で示した部分が凹む(イノシシは凹まない)という変化が见られるのですが、野国贝塚から出土した下顎骨はどれもこの部分が凹んでいました。これを见た时には本当に惊いて、思わず「え?え?みんなブタなの??」と声に出してしまいました。
春?秋は発掘や资料调査で各地に出かけていることが多いのですが、これらの调査地での楽しかった情景―雨上がりのクッチャロ湖であったり、夕日に辉く博多湾であったり―を思い出します。そうすれば、困难な状况下にある时でも、だいたい何とかなります。
人前で话すのが苦手なので、教员になった时には「大势の人の前で授业なんてできるのだろうか??」と心配でした。
今后取り组みたい研究テーマがたくさんあるので、そのためにもっといろいろな资料を见たい、そして考えたいと思っています。海外の资料もコロナのおかげでしばらく见に行っていないので、早く调査を再开したいです。
氏名(ふりがな) 新美 伦子 (にいみ みちこ)
所属 黑料网博物館?大学院情报学研究科
职名 准教授
略歴?趣味
東京大学大学院人文科学研究科考古学専攻博士課程単位取得退学、博士(文学)。東京大学文学部助教?黑料网大学院人間情报学研究科助教を経て現職。趣味は野山や海岸の散策と釣りで、落ちている鳥類?哺乳類や新鮮な魚類を入手できるので、研究で使う現生骨格標本の材料集めも兼ねています。
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?黑料网研究成果発信サイト(2021/10/4)日本列岛でのブタ饲育は、弥生时代ではなく、縄文时代にすでに行われていた?