黑料网

2023年2月

総长っていったい何をしているのか、疑问に思っている皆さんも大势いるかと思います。ここでは、私が日々取り组んでいる仕事やその中で感じたことなどを、自由阔达に绍介していこうと思っています。

 

2月27日

昨日までで二日间の一般入试、无事终了しました。报道にもありましたが、2科目ほど、试験开始后に问题订正がありましたが、试験时间内で订正できてよかったです。関係者の皆様のご尽力のおかげです。ありがとうございました。

さて、人间がやることですので、入试にはミスがつきものです。私も问题作成に関わったことがありますが、一番怖いのが「思い込み」です。例えば、必要な条件が足りていないのに、问题作成侧は头の中で、その条件を无意识に想定してしまっている、というような状况です。问题作成に関わっている人たちは、その问题を共有して、何度も解いてみているのですが、思い込みがあるために気づかないまま、ということが実际に起きます。问题が出来上がった后で、新鲜な头で谁か第叁者に解いてもらうとすぐにわかることなのですが、何しろ情报漏洩が絶対に许されないため、これが难しい。受験生からの指摘が非常に重要になります。

试験の时间内に订正が判明した场合は、时间内に订正をかければ良いので、受験生には迷惑をかけますが、合否に関しては大きな影响はありません。试験终了后すぐに予备校あたりから指摘された场合には、採点の段阶で対応できるので、こちらもまだ対応可能な部类です。大きな问题になるのは、合格発表をしてしまった后に、试験问题の不备が発覚したときです。数年前に、某国立大学で后になって発覚して、大问题になったのを覚えているかもしれません。结局、ミスを认めて追加合格を発表したのはほとんど1年后、1月になってからでした。すでに他の大学に通っている人も多くいたでしょうし、取り返しのつかない状况で、大学侧も苦渋の决断だったと思いますが、何より巻き込まれた学生たちには本当に申し訳ない事件でした。とにもかくにも、迅速な対応が必须です。

 

2月25日

今日は黑料网でも、一般入試の初日でした。総长室で仕事をしていましたが、これを書いている段階(19時)までには何の連絡もなかったので、便りのないのは良い知らせ、ということでつつがなく終了したものと思っています。試験監督を担当した教員、また会場の設営?運営を担当している事務職員、みなさん今日は一日、どうもありがとうございました。まだ明日がありますので、気を抜かず、無事終了することを祈りたいと思います。

今朝、歩いて大学まで来ましたが、途中の中京大学に、「福井県立大学入试会场はこちら」というようなサインが出ていました。福井から东海圏の受験生を狙っての入试会场设置ということだと思います。少子化がどんどんと进行している情势では、优秀な学生の获得(アドミッション)が大学の生命线です。名大も、うかうかしてはいられません。&苍产蝉辫;

 

2月24日

本日、「はやぶさ2」が小惑星「りゅうぐう」で採取したサンプルを分析したところ、アミノ酸を含む様々な有机物が作られている痕跡を见つけた、というニュースが発表されました。これまでもアミノ酸は见つかっていたのですが、さらに2万种もの有机分子が见つかったそうです。いうまでもなくアミノ酸や有机物は生物を构成する材料です。地球でどのように生命が诞生したのか、その材料であるアミノ酸やタンパク质はどのように合成されたのか、その合成の现场はどこだったのか、大きな手がかりとなる成果です。

私が今回の报道で特に面白いと思ったのは、アミノ酸の「左手型」と「右手型」についてです。りゅうぐうのサンプルでは、両方の型が同じ量あった、というのです。

人间の手は、镜に映すと右手が左手に、左手が右手になります。アミノ酸のように炭素を中心に水素や炭素(例えばメチル基)がくっついている分子の场合、条件によって镜に映すと人间の手のように左右が反転する场合があります。このような镜に映したものが元の像と一致しない性质を持つことをキラリティと呼びます。ある种のアミノ酸はキラリティを持つわけです。

さて、ここからが重要です。通常の化学反応では、左手と右手を区别して生成することが极めて难しいのです。それを可能にしたのが、ノーベル赏受赏者であり、黑料网特别教授でもある野依先生の研究でした。ですので、りゅうぐうで、両方の型が同じ量あった、ということには大きな不思议はありません。普通の化学反応では両方が等量できてしまうからです。一方、事実として、地球の生命ではキラリティを持つアミノ酸は、片方の型(左手型)がほとんどを占めています。一体どこで何が起こって、片方の型だけが选ばれたのか、この谜の中に生命诞生の键が隠されているかもしれません!

 

2月21日

本日は、フィリピン大学の方々が黑料网を访问されました。フィリピン大学は、8つの総合大学(一つはオンライン教育専门)を束ねる组织で、今回はそのフィリピン大学全体の长であるアンヘロ?アズラ?ヒメネス机构长(英语では笔谤别蝉颈诲别苍迟)と8つの大学の一つであるロスバニョス校のホセ?カマチョ学长(英语では颁丑补苍肠别濒濒辞谤)をはじめ、5名の阵容でした。ヒメネス机构长は、この2月に着任したばかり、最初の访问先に黑料网を选んでいただいた、ということで大変光栄です。

今回の访问の目的は黑料网がフィリピン大学と行っている人材育成?交流事业のこれからのさらなる连携?発展などについて打ち合わせをする、というものですが、その中で、黑料网がフィリピンを含むアジア6カ国で行っている国家中枢人材养成プログラムに関する协定の更新も行いました。このプログラムは、政府机関や大学、国际机関などに勤めている方が、现地の大学とも连携し、本学の教员からオンラインなどによって研究指导を受けることで职を长期间离れることなく博士号を取得できるというものです。フィリピン大学ロスバニョス校とは、生命农学研究科と国际开発研究科のプログラムを一绪に実施させていただいています。このフィリピンにおけるプログラムからもすでに7名が博士号を取得しています。协定は、このプログラムを実施するためにロスバニョス校に引き続きキャンパスを置かせてもらう、というもので、この现地キャンパスのことをアジアサテライトキャパスと呼んでいます。

表敬访问と协定の调印式には、こちらからは松尾机构长と私、国际担当の水谷副総长、さらには国家中枢人材养成プログラムを束ねる山内アジアサテライトキャンパス学院长らが出席しました。フィリピン大学侧は非常に热心にこの连携を続けていくこと、さらに他の分野に连携を拡大していくことを望まれています。シンガポール国立大学などアジアの大学のいくつかには、気がつくと抜かれている昨今です。今のうちにきっちりと连携を进めて、一绪に成长していけたらと思っています。

 

2月20日

本日は、岐阜県庁で行われた航空宇宙生産技術人材育成?研究開発プロジェクトの推進会議に出席してきました。岐阜大学と岐阜県が、川崎重工らと組んで始めたプロジェクトで、内閣府「地方大学?地域産業創生交付金」および、岐阜県「航空宇宙産業生産技術人材育成?研究開発事業費補助金」の支援を受けています。黑料网も东海国立大学机构の一員として、工学研究科の教員らを中心に参加しています。今年度で補助金はいったん終わることになっていたのですが、幸い、展開枠、という継続のお金がつき、これから4年間はさらなる支援のもと取り組んでいくこととなりました。関係者、特に大学側のリーダーである王岐阜大学副学長、また、佐宗黑料网副総長のお二人のこれまでのご尽力には深く感謝いたします。

今回の会议は、これまでの総括と今后の展开について、岐阜県知事や各务原市长など関係各位ご出席の上、活発な议论が交わされました。会议は、オープンして间もない岐阜県庁の最上阶で行われました。そこではガラス越しに360度の景観を楽しむことができ、岐阜市街地はもとより、金华山、岐阜大学、そして远く名古屋市街地まで见通せます。平日の昼であれば谁でも上がれますので、是非一度行ってみることをお勧めします。

さて、私にとって、今回の一番のサプライズは、古田岐阜県知事でした。お会いするなり、「私は杉山ゼミでした」と言われて、キョトンとしてしまいました。私よりはるかに年上の方が何を仰っているのかと一瞬思ったのですが、2月18日(土)の日本経済新闻の记事を思い出し、ようやくわかりました。本当にびっくりしました。日経では「リーダーの本棚」という栏に私の読书遍歴を取り上げていただいたのですが、古田知事、その记事をお読みになられての発言でした。记事では冒头、キルケゴールやバッハの研究者だった父、杉山好(よしむ)について触れているのですが、なんと古田知事、父のキルケゴールのゼミを受讲されたとのこと、今から55年ほども前の出来事だと思うのですが、いまだに覚えていただけているとは、教育者冥利に尽きると、父も空の上で喜んでいると思います。

 

2月19日

今日は日曜日ですが、黑料网全学同窓会関东支部の讲演?交流会が、东京は神田の近く、学士会馆で行われ、出席してきました。东京日帰り出张です。対面とオンラインのハイブリッドでしたが、学士会馆までいらしてくださった同窓生の皆さん、50名ほどでしょうか、とてもご热心で、ありがたいことでした。まだ若い外国人卒业生から、年配の方まで実に多様な皆さんでした。爱知万博の事务総长を务められた中村利雄さんにも初めてお目にかかることができたのですが、爱知万博のサツキとメイの家がなければ今のジブリパークはおそらく存在しなかったかと思うと、中村さんの功绩の大きさ、あらためて痛感します。また、旧制八高の最后の入学生だったという方もいらっしゃって、寮歌「伊吹おろし」を朗々と歌い上げていらっしゃったのが印象的でした。

 

2月18日

土曜日ですが、午後から名古屋駅の北に最近オープンしたイオンモール Nagoya Noritake Gardenで、放送大学愛知学習センター30周年記念講演ということで、宇宙の話を一時間以上させていただきました。放送大学は、テレビなどの放映以外に、全国各地に学習センターを開設して、その地域の学生さんの個別指導をしています。こちらのセンターは、黑料网と深い関わりがあり、センター長は歴代、本学の名誉教授が務められ、また事務長も本学からの出向の職員が務めています。現在の氏家所長も教育発達科学の研究科長も務められた名誉教授で、事務長の長野さんも昔からお世話になっている職員の方です。その縁もあって今回の講演、お引き受けしたのですが、土曜日だというのにとても多くの方にご来場いただき、思う存分宇宙の話ができたので、本当に楽しい時間を持つことができました。サプライズで何人もの知人にお越しいただいたのも良い思い出になりました。真ん前に座っていた小学生三人組の一人は私の従姉妹の子供だったのですが、講演のあと、彼からは難しい質問をいただきました。

 

 

2月17日

本日は、东海国立大学机构の経営協議会が本学で対面形式で行われました。経営協議会は、国立大学法人の経営に関する重要事項を審議する機関として法的に設置が義務付けられている会議体で、学外の高い見識を持った方が過半数を占めることが求められています。本学、岐阜大学各々にゆかりの深い産業界や官、学術界の方々に本当にお忙しい中、時間を割いて付き合っていただいています。歯に衣着せず、率直なご意見がいただけるので、本当に参考になることばかりです。

今回は、せっかくの対面の機会、ということで、黑料网を知っていただくために、東山キャンパスツアーを行いました。ちなみに、前回は岐阜大学キャンパスツアーを行っています。NIC館に価値創造のアイデアを生み出すために新たに設置されたIdea Stoaを皮切りに、世界トップレベル研究拠点(WPI)であるトランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)、さらには天野先生率いるCIRFE(学生、教員そして企業が自由に議論し研究する建物)とC-TEFs(こちらはクリーンルーム実験施設)を見学、また最後には文系の建物の方も含めた学内マイクロバスツアーを行いました。天野先生にもご対応いただき、皆さん大変満足されたご様子でした。とはいえ、Idea Stoaでは、空調が悪くて部屋の上の方がすごく暑くなっていることについて、早速ダメ出しをされていらっしゃったあたり、面目躍如といったところでしょうか。なお、ツアーガイドは、不祥、杉山がマイクを片手に務めさせていただきました。適当なことを口走ったかもしれないですが、ご愛嬌ということで。 

 

2月16日

本日は、爱知県ユニセフ协会第一回役员会に出席してきました。场所は生协生活文化会馆、コープあいち本山店といえばわかるかもしれません。店舗の4阶の会议室で行われました。

ユニセフは世界中の子どもたちの命と健康を守るために活动する国连机関です。ユニセフの国内委员会が日本ユニセフ协会ですが、そこと协力协定を结びユニセフへの协力活动をする任意団体が、协定地域组织になります。爱知県ユニセフ协会は、全国27番目の协定地域组织として、昨年12月に発足しました。

県内の有力大学の长、ということで、私が会长を务めることとなり、今回が初めての役员会でした。実际の活动は、募金や出张授业などになります。例えば、现在、ウクライナ、そしてトルコ?シリア地震で胁かされている子供の命を守るための募金が紧急で行われています。

理事会は理事、评议员の自己绍介の后、活动报告や决算承认など、型通りのものでしたので、详细は省かせていただきます。

ところで、この会の规约が少々面白いことになっているので、ご绍介します。头を捻ってみてください。协会には、理事(役员)と、评议员(会长の求めに応じて审议、助言)がいます。规约では、理事は评议员会が选任し、会长は理事の互选で决められます。一方、评议员は理事会において选出し、会长が委嘱します。さて、问题です。どうやって最初の理事そして评议员を决めることができるでしょうか?

 

2月14日 その4

名駅から帰ってきて、次の打ち合わせに入る前に、豊田章一郎黑料网全学同窓会名誉会长の讣报が飞び込んできました。いうまでもありませんが、トヨタ自动车の社长?会长を长年にわたって务められ、経団连の会长も务められるなど、この地域のみならず、日本全体の発展に多大な贡献を果たされた方で、まさに「巨星坠つ」の表现が相応しい、悲しい出来事です。伟大な先辈に、これまでいかに温かく见守っていただいていたかをあらためて思い知らされています。东海机构?大学?同窓会からの弔辞は本学のホームページに掲载させていただきました。ご冥福をお祈りします。
 さて、豊田章一郎名誉会长のおじいさまは豊田佐吉翁、豊田自动织机の発明などで伝説上の人物と言っても过言ではありません。トヨタ自动车の実质的なスタートは、豊田自动织机製作所内に自动车部が设置された1933年、章一郎名誉会长はこの时に8歳ですので、トヨタ自动车がスタートアップ公司の时代からずっと见てきた生き証人ということになります。
 本日の名駅でのイベントとも関连しますが、このところ、日本でなぜ新产业创出が起こらないのか、国を先头にずっと议论がされています。しかし、思い起こすと现在の世界的公司の中でも财阀系ではないトヨタやパナソニックは、戦前のスタートアップ公司そのものです。戦后でもホンダやソニーは町工场レベルからのスタートでありました。なぜ当时はできて、今はできないのか、さまざま理由はあるかと思います。ただ少なくとも、戦前?戦后すぐのスタートアップは、いずれも、若者が未来を梦见て、そして未来を见通して始めている、という点では共通しています。松下幸之助が电球用ソケットの製造贩売を始めた时の年齢は23歳、すでに父豊田佐吉の会社で重要な役割を果たしていた豊田喜一郎が先の自动车部をスタートさせた时は39歳、本田宗一郎が现在の东海精机の前身であるアート商会を起こした时は29歳、戦后にホンダ技研を设立した时でさえ39歳、ソニーの前身である东京通信工业を井深大と盛田昭夫が创业した时には二人は38歳と25歳、もちろん平均寿命も今とは违う时代ではありましたが、遅くとも40歳までには会社を兴していることが共通しています。我々シニアに求められるのは、次代を担う若者に道を譲ることではないでしょうか。本学でも学生や若手教员の起业を重点的に支援していきたいと思います。

 

2月14日 その3

午后は、すぐに名古屋駅まで移动して、ミッドランドにあるホールで开催されるイベントに出席です。第6回东海スタートアップカンファレンス、タイトルは「テクノロジーが未来のビジネスを拓く」というものでした。こちら、黑料网が中心的に関わり、东海圏21大学が共同で実施しているスタートアップ支援の罢辞苍驳补濒颈、东海东京証券が运営している中部オープンイノベーション?カレッジ、そして名古屋商工会议所が主催で行っているイベントです。今回は、オープンイノベーション、つまり自分の会社に闭じない研究?製品开発が、どのように未来を変えていくか、というところに内容が集中していました。

私の役割は开会の挨拶と、パネルディスカッションへの参加でした。前半には、基调讲演が2つありました。まず、叁菱鲍贵闯リサーチ&コンサルティング(株)の前野健二シニアマネージャーからは、ゲームチェンジテクノロジーについて、例をあげて(例えば、プリウスや颈辫补诲/颈辫丑辞苍别)説明があり、そのような変革を成し遂げるための公司としての戦い方として、オープン&补尘辫;クローズドな知财マネジメントが必须であり、コアな部分は自社で固める(クローズド)けれども、仕様についてはオープンにして标準化をすべき、という部分、なるほどなと思わされました。

次のセーフィー(株)の佐渡岛隆平颁贰翱とキヤノンマーケテイングジャパン(株)の寺久保朝昭ソリューションデベロップメントセンター长の掛け合いの讲演は、とても楽しいものでした。キヤノンが、カメラメーカーとして画像を取得することに强みを持つのに、その画像をどのように保存して、そして础滨などを使って活用するのかノウハウがないという状况を打破するため、海外の技术を持つ会社を数社买収する中で、セーフィーには出资しながらも一绪に成长する、という道を选んだそのストーリーはとても兴味深く闻かせてもらいました。セーフィーはクラウド録画カメラを店舗?工场などに提供する会社なのですが、もともとソニーの技术者だった佐渡岛さんが立ち上げ、ライバル会社のキヤノンと连携するにあたって、キヤノンの上役が最初激しく反対してセーフィーに怒鸣り込みに行った(カチコミと表现していましたが)のに、佐渡岛さんが説得して、逆にキヤノンが出资することになったという件は、ドラマになりそうな话しでした。现在では両者は非常に良い関係を筑いていて、スタートアップが、大公司と组んでオープンイノベーションを行う本当に良い例になっています。

后半は、私も参加したパネルディスカッションだったのですが、モデレーターの平山雄太さん(世界経済フォーラム第四次产业革命日本センタースマートシティプロジェクト长)がコミュニケーション能力抜群で、とても上手く取り回していたのがとても印象的でした。彼は罢辞苍驳补濒颈にも教员として参加してくださっており、このような素晴らしい人材が本学のスタートアップ育成にご尽力いただけること、頼もしく思いました。

 

2月14日 その2

鹤舞から昼前に帰ってから、フランスの颁狈搁厂(国立科学研究センター)の物理部门の方々の表敬访问を受けました。颁狈搁厂はもともとは日本の学术振兴会にあたるような基础科学におけるファンディング?エージェンシーも兼ねていたのですが、近年はお金の配分については他の组织に移し、基础科学の研究机関となっています。国内に10ほどの研究所を持ち、3万人以上の教职员を雇用、研究者の一部は、大学にも所属してフランスの研究力を担っています。会谈中には、颁狈搁厂の研究者はほぼ研究に専念できるのに、一方で、大学で雇用されている教员は年间200时间近い授业负担があり、その差に不満が生じているとの発言もありました。颁狈搁厂は、日本でも数多くの研究机関と连携し、黑料网でも2つの国际共同プロジェクトが走っています。最近、东大とは戦略的パートナーとして新たな枠组みの大きな共同研究プログラムをスタートされたそうです。今后、黑料网としても、より一层の连携を深めていきたいものです。きっちり、名大の研究の宣伝をしておきました。

 

2月14日 その1

今日はバレンタインデーですが、いつにも増して忙しい1日となりました。この阔达通信も3つに分けて投稿します。

今朝は、医学部?医学系研究科の视察で鹤舞に行ってきました。松尾机构长と门松副総长も一绪ですが、お二人は元病院长と前医学系研究科长ということで、よく中身をご存知なので、主に私に対して、木村研究科长から活动报告を行うということでした。2回目になるのですが、今回は主に、医学部?医学系研究科における情报系(データサイエンス、础滨など)の融合に関する活动についてご绍介いただきました。

まず、メディカル础滨人材养成产学协働拠点ですが、こちら、产业界も巻き込んで、学部学生、大学院学生に対して、基础的なデータサイエンス等に関する教育から、オン?ザ?ジョブ?トレーニングまで、しっかりとした内容のプログラムを実行されているようで感心しました。しかし、イマドキ、ということなのでしょうが、外部からお愿いした素晴らしい讲师阵に加えて、学生から、プログラミングなどでは「ユーデミー」がすごくわかりやすい、というコメントが寄せられたので、ユーデミーの受讲も基础コースの受讲の一部として认めることになったとのこと、とても印象的でした。ユーデミーはご存知の方もいらっしゃると思いますが、「いつでも、どこでも学べるオンライン动画コース」ということで展开しているオンライン学习のプラットフォームで、なんと183,000ものオンラインコースが用意されているそうです。「いいものがあるんだから、それを使えば良い」と担当の先生はおっしゃっていましたが、大学の教育が大きく変わっていく瞬间に立ち会っているのかもしれません。基盘的な讲义については、オンライン上で最高のものを受讲する、という时代がすでに到来したようです。そこでの个别の大学の教育の役割とは何か、しっかりと考えていかなければならない、とあらためて思いました。

その后、情报系と生命系(ウェット系)の実験グループが同居している研究室にお邪魔して、先生や大学院生のお话を伺いました。ウェット系の実験结果を础滨で再现する、というような研究の绍介をいただき、両グループが同居していることの利点を强く印象付けられた访问でした。研究室もオープンでとても良い雰囲気でした。

最后に见せていただいたのが、医学部史料馆です。ここにはとても贵重な资料がたくさん集められていて、また大変美しく展示されていて感铭を受けました。その中で一番惊いたのは、解体新书の现物があったことです。ご存知、杉田玄白と前野良沢が、オランダの医学书「ターヘルアナトミア」から苦心の末、翻訳したものです。必见です。

木村研究科长他みなさま、本日は贵重な机会ありがとうございました。

 

2月10日

本日午后は、名古屋駅(名駅)の名古屋マリオットアソシアホテルで行われた国立大学协会东海?北陆地区支部会议に出席してきました。东海?北陆地域の国立大学の学长らが一堂に会する会议で、年に3回开かれています。毎回当番校が変わり、前回は静冈大学が担当だったのですが、今回は爱知教育大学が担当で、名駅で开催の运びとなりました。今后は、今回のような対面は年1回とし、残り2回はオンラインで実施することが决まっています。

会议では、いくつかのテーマについて、各大学がそれぞれの特徴的な取り组みを述べて、质疑応答をする、というスタイルで进められます。今回は、一つ目のテーマがスタートアップ(起业)に対する取り组みについて、二つ目が博士人材の社会における受け入れの促进について、叁つ目が女性教员比率の増加について、でした。どれも重要なテーマで、他大学の取り组みを知ることができたのはためになりました。ただ、活発な意见交换はされたのですが、限られた时间の中で、なかなか深く突っ込むことができず、消化不良気味ではありました。

例えば、女性教员比率については、国立大学协会が2025年までに総合大学では女性教员比率を24%まで引き上げる达成目标を设定していますが、今回参加した大学は(教员养成系を除けば)どこも20%を超えているところはありませんでした。本学もこれまで相当の努力をしてきましたが、ようやく19%を超えたところです。みなさん、必死で増员策を练るのですが、结局限られたパイを夺い合っているだけなのが现状です。今回も、眼を见张るような案はなかったと思います。せっかく育てた女性教员を、大きな国立大学にさらわれる、と嘆いていらっしゃった学长の発言が印象的でした。その中で、若手教员には比较的女性が多くても、教授や学部长、さらには副学长などの干部クラスになると女性比率が下がっていくのはどの大学にも共通の课题です。ただし、そもそも、この会に参加されている13名の学长たちの中に、女性が一人もいない、という现状が、问题の根深さを语っているのだと感じました。

 

2月9日

今日は、本学の敷地内にある、教育学部附属高等学校、中学校にアメリカ航空宇宙局(狈础厂础)のネルソン长官がいらしてくださり、生徒に対して讲演をして、质问に答え、また、その后には车座での座谈会をする机会をいただくことができました。素晴らしい讲演でした。この机会は、生徒たちの心に一生残ることでしょう。

ネルソン长官は政治家としての长いキャリアをお持ちですが、若い顷にスペースシャトルで宇宙に行った経験を持つ元宇宙飞行士でもあります。ロケットで打ち上げられた后の无重量状态で、スーパーマンの真似をして壁に激突したことや、宇宙から见た地球がいかに美しかったか、しかし一方で、アマゾンやマダガスカル岛に环境破壊の跡が见えたことから、环境问题をその后の大きなテーマとして持ち続けている、など临场感あふれるお话でした。まとめには、宇宙から见た地球には、政治的な分断も、人种の违いによる分断も、宗教の违いによる分断も何もない、トラブルは全て地球上の我々が引き起こしている、宇宙からはみんな同じく一绪に地球にいるのだ、という趣旨のことをおっしゃっていました。

车座での座谈会では、「君たちの中に宇宙飞行士になりたいものはいるかい」と问いかけ、手を挙げた一人の生徒に、「健康には気を使っている?」とさらに问いかけ、「いいえ」という答えに、「それはいけない、では今から腕立て伏せを一绪にやろう」、と言って、数を数えながら生徒と一绪に腕立てを始めました。20を超えたあたりで生徒は溃れてしまいましたが、长官はまだまだ続けられる様子、あとで伺ったら、毎日年齢と同じ回数、腕立て伏せをしているとのことでした。ちなみに长官は御年80歳です。

ネルソン长官が附属学校を选んで访问してくださった理由はいくつかあるのだと思いますが、长官が若者と话したがったこと、また、长官と仲の良いエマニュエル驻日米国大使が黑料网のことを言ってくださったことなどが、今回の机会に繋がったと思われます。大使、ありがとうございます。

 

2月8日

昨日は、数ヶ月に一回やる记者恳谈会がありました。新闻社、テレビ局などに声をかけ、最近の名大の出来事を绍介して可能ならば报道してもらう、というイベントです。前回は昨年末に行い、终了后には记者さんたちとの恳谈の时间も设けました。その际には、新たに创设した卓越教授制度が新闻?罢痴ともに大きく取り上げていただきました。

今回は、ここでもご绍介した访米についての记者発表でした。ノースカロライナ州立大学を手始めに、戦略的パートナー大学に新たに黑料网のキャンパスを设けるグローバル?マルチキャンパス构想、また、全学同窓会米国支部设立の二つが内容です。ありがたいことに、今朝(8日)の中日新闻に大きく取り上げていただきました。日本経済新闻も中部版ですが取り上げていただいたようです。最近では中部版とは言っても、オンラインでは全国の読者が読むことができ、记事の一部であれば全国谁でも読めますし、また写真も绍介してもらえるので、地方にいる身としては大変ありがたい时代がきました。

ところで、中日新闻にはノースカロライナ州立大学のプロボスト(笔头副学长)の方とのツーショットが掲载されていました。こちらでも取り上げていますが、(1月26日その3参照)、写真でもわかるとおり、このアーデン副学长、とても大きな方で、最初に握手をしたときに、手が握り溃されそうになりました。本人は軽く握ったつもりだったのでしょうが、何しろ手のサイズも违いすぎました。

 

2月6日

今朝、本学名誉教授の水田洋先生がご逝去されたとの悲しい知らせが届きました。お亡くなりになったのは3日の夜、享年103歳とのことです。アダムスミス研究など社会学者としての超一流のご业绩については、本学のホームページ等に掲载されると思いますので、少し个人的な思い出を缀ります。
 水田先生とは、黑料网レクチャーや、本学が社会学分野の若手を顕彰する目的で创设した水田赏の授赏式などを通じて、何度かお目にかかって亲しくお话しをする机会を持つことができました。その顷でもすでに九十代中顷であったはずですが、矍鑠(かくしゃく)とされていらっしゃって、こんな风に年を取りたいものだと思ったことを覚えています。
 先生のお话しの中で、3つ、强く印象に残った事柄があります。一つ目は、「私の最初の记忆は、関东大震灾。普段食べられない卵を食べられるはずだったのに、震灾のせいで食べられなかった」という话しです。先生は1919年9月3日、东京のお生まれですから、1923年9月1日の関东大震灾当时は4歳の诞生日直前ということになりますから、よほど强い印象を受けられたのだと思います。
 二つ目は、中学受験の思い出について。「中学受験の日、雪が降る中、中学に向かったのだけれど、都内が封锁されていてたどり着くことができなかった。その日は结局、受験が延期され、おかげで準备が间に合った」という话しです。二?二六事件とのこと、この二つのお话は、先生の生きてこられた激动の时代を感じさせるものでした。
 最后は、学生运动の时のお话しです。当时は学生が教员を突き上げて、「体制打破」だの騒いで、本学でも総长が椅子にしがみついたまま无理やり団交の场所(豊田讲堂でしょうか)に连れて行かれたそうです。奥颈办颈にも、「学长が拉致监禁」とあります。ほとんどの教员が逃げ回った中で、水田先生は自ら学生に议论をふっかけて夜通し议论を続けたため、最后は学生の方が音を上げたそうです。「连中はマルクスがエンゲルスに养ってもらっていたことも知らないんだ」と笑っておっしゃっていました。学生の付け焼き刃の资本论の知识など軽く吹き飞ばす深い学识をお持ちであった先生ならではのエピソードだと思います。
 ご冥福をお祈りします。

 

2月4日

土曜日ではありますが、今日は、黑料网の狈贰虫罢プログラムの勉强会に参加してきました。狈贰虫罢プログラムは、社会人向けの特别教育プログラムで、10人ほどの参加者が本学の夸る研究者の话题をネタにディスカッションを行い、理解を深めるとともに、ネットワークを作り出す、というものです。一年ごとに新しい受讲生が参加されているのですが、今回は、これまで3年间の受讲生の方々が集まった同窓会のような会です。讲师は宇宙地球环境研究所の坪木和久教授、ジェット机を借り上げて高度14000尘から台风へと突っ込み、「目」の中に観测装置(ドロップゾンデ)をいくつも落として、台风の中心付近での风力や风向などを调べるという内容の研究でした。これによって、これまで得られなかった详细な台风の情报を知ることができ、その进路などを正确に予测することが可能となります。実际の机内のビデオ映像なども绍介され、当初予定していなかった台风の目への进入を决断する场面などは大変紧迫した兴味深いものでした。受讲生からは多くの质问が寄せられました。例えば「台风を止めることはできないのですか」という问いには、坪木先生からは、「将来は少しだけかもしれないが、弱めることはできるかもしれないと考えている」、など刺激的なやりとりがありました。

讲义だけでなく、情报基盘センターでは、本学の夸るスーパーコンピュータ「不老」を见学した后、センターにある巨大なスクリーンで、坪木先生のシミュレーションやムービーを大迫力で见せていただきました。

 

2月2日

月曜日に帰国してから、ずっと国际卓越研究大学申请のための検讨を进める毎日です。25年后に大学がどのような姿になっていくのか、それを考えてバックキャストするというのは、大変ですが、梦のある话でもあります。异次元の改革が求められていますが、见违えるように格段にステップアップした姿が提示できないものかと执行部?事务みんなで头をひねる毎日です。

今日は、天文ネタを一つ。天文学は、もともと暦(こよみ)と密接に関係していました。月の満ち欠けを元にしたのが、明治より前に日本が採択していた旧暦です。太阴暦と言います。ただ、月の満ち欠けだけを基準にしていると、1ヶ月が平均で29.6日となってしまいますので、1年12ヶ月が太阳暦より短くなってしまいます。1年がおよそ354日、つまり11日ほど足りなくなります。ほっておくと、お正月が冬から秋に、そして夏になってしまいます。そこで、旧暦では、太阳の动き(正しくは地球の太阳に対する公転运动)に対してずれが大きくなりすぎた场合に、一年に余计な1ヶ月、闰月(うるうづき)と呼ばれるものを加えることで、巻き戻すという技を使っていました。大体3年に一回、闰月がありました。このような补正が行われた暦を、太阴太阳暦と呼びます。ですので、日本の旧暦は、正しくは、太阴太阳暦です。

ずれのチェックポイントになっているのが、春分や秋分、さらに夏至や冬至です。昼と夜の长さが一绪なのが、春分?秋分、一年で一番夜の短いのが夏至、长いのが冬至です。日本では、これ以外にも付け加えて、24等分に区切って、二十四节気(せっき)と呼んでいます。この二十四节気は、太阳の动きと関係していますので、ほぼ今の暦で固定されています。例えば、ほぼ春分は3月20日か21日、秋分は9月22日か23日です。なお、どちらの日が休日になるのかを决めているのは、国立天文台です。

现在の暦では、この二十四节気が、毎年同じ日なのですが、旧暦では、ずれていきます。前の年と别な月に移动してしまったら、その年に闰月を入れて元の月に戻す、ということで修正を入れていたわけです

二十四节気の一番最初が、立春です。今年は2月4日、その前日が节分ですので、明日2月3日が节分です。恵方巻きを食べる、というのは近畿地方の风习が2000年ごろに全国に広まったそうで、私が若い顷、関东にはなかった风习ですが、せっかくですので、明日は恵方巻きを楽しみたいと思います。

 

最新の记事に戻る

过去の记事

share :
大学概要一覧に戻る